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001「邪定僧の羊吼」 H28.05.08

○親鸞が「唯識」を学び始めたのは10歳であると言われる。京都のどこかに法隆寺西院の覚運僧都が「唯識」の講筵を敷かれ、そこで親鸞は学んだとされるのであるが、19歳の時にその西院・覚運僧都のもとに70日間に逗留して「唯識」を集中的に学ばれたとされる。その法隆寺からの帰途に聖徳太子廟・叡福寺での参籠で聖徳太子の夢告を受けるという出来事に繋がる。(蛇足ながらこの叡福寺は、親鸞聖人の生れる30年ほど前に創建された寺だそうで、歴史が浅いにも係わらず「参籠寺院」として有名であったらしい。しかしながら、これまで調査してきたのではあるが「参籠寺社」ということは、どの寺社でも可能であったということではないようであり、その資格をどのようにして叡福寺が受けたのかはわからない。諸々のいきさつがあったのだろう、とは思う)
 この伝説から「唯識」の学びと「19歳夢告」とがどのように結び付くのか? そのことが気になっているのである。一般的には真宗大谷派の学びでは「19歳夢告」のことは触れられているけれども、その夢告の直前にあった「法隆寺西院70日間の唯識の学び」ということには全く触れていない。しかし私は「19歳夢告」と「直前の唯識の学び」ということがどうも関係があるような気がしてならないのである。むろん、まだ「根拠不明」である。
 ただ一つ、私の中では漠然とした方向性はあるように思う。つまり、「唯識の学び」は、「ただ識のみあり」というところに帰結するのであり、大乗仏教の基本にある「自利利他円満成就」ということも、実は「ただ識のみあり」ということであるということではないかと、思っている。つまり、「自利利他円満成就」は「一人の中において、「ただ識のみあり」において成り立つ」ということではないかということだ。
 もっと言えば、「自利」も「利他」も、「一人の識において成就する」ことであるということだ。いわば、「他者に対して、自分が見方を変える」ことで成り立つのが「利他」である、ということだ。「自分が見方を変えたこと」で「利他」ということは成り立つことになる、ということであり、その「他者」が、「某(自分)がどう見方を変えたかどうかを知る必要は全くない」ということだ。「自利」ということは、「他者へ対しての見方が変わる」ということで、「自分自身が変わっていくこと」なのである。
 つまり「自利」も「利他」も「自分の識のみにおいて成就すること」ということを「唯識」学においてハッキリさせることが出来るのではないか、ということなのである。これは、これまでの「自利」「利他」観とは異質なのかも知れないが、あながち間違いではないかも知れないと思い始めている。
 具体的な例で言えば、「親鸞」と「七高僧」の関係である。親鸞が彼らを「七高僧」とすることで、仏道の歴史の上で「或る」ポジションを見いだした。そして「七高僧」と位置づけた。仏道の歴史を学ぶことで、彼らの位置を明確にすることが出来たのであり、これまでは「七高僧」ということで「仏道の歴史」を顕した人はいなかった。このことは親鸞自身が彼らに対しての見方を、従来の仏教の歴史から変えたのである。そして親鸞自身が「七高僧」を「諸仏」としたのであり、一般的な言い方をすれば、「親鸞は彼らを七高僧として成仏させた」ということであり、「成仏させたこと」が「利他」なのである。
 その「成仏させた七高僧」から「必然的に課題をいただいて生きる」ということが、「自利」であり、そういう生き方を私が言うならば、それを「往生」という。
 どうだろうか。こういうことが「自利利他満足成就」の具体的な事実ではないだろうかと思うし、「自利利他満足成就」ということが、具体的事実によって、まさしく「一人の識の上において成就していること」と言えるのではないかと思う。
 私からするならば、「清沢満之を「諸仏」に出来るか」という問題に重なる。これは同時に、清澤満之から「課題をいただいた」と自分に頷けるならば、清沢満之を私が「諸仏」にしていること、即ち「成仏させていること」であり、私自身が清澤満之を通して知る「往生」の生活という課題の、具体化ということになる。そういうことの意識は、「私一人」の「唯識」の事実である、ということだ。即ち、「自利利他満足成就」ということは、「一人の唯識」において、もっと言うならば、「一人の唯識においてのみ」成り立つことである。こういう考え方は「事実」ということをベースにしてみれば、このようになるのではないだろうか。「何も他人を変えさせるのが利他」じゃないのだ。「相手が受けとることを回施するのが利他じゃない」のだ。

○う〜む。凄いことを、あるいはバカなことを言っているなぁと、思われるかも知れない。おそらくこういうことは誰も言っていないけど、「親鸞の事実」からすれば間違っていないのじゃないかな。私からするならば、極めて単純な事実なんだな。仏教用語で溢れた学問の世界で仏教を学んでいくと、複雑怪奇な哲学になるのじゃないかな。「人間の事実」から考えれば、明確に見えてくる。仏教の学問は、どうも人間の事実を言葉の叢林にして解り難く、酔わせてしまうのではないだろうか。まあ、「人間の事実」を見失うと「南無阿弥陀仏は人類共通語です」などという妄言になっていく。


○「五正行」の問題で最大な難点は、善導大師自身が「五正行」を放棄しているということである。善導大師(613~681)は、亡くなる9年ほど前に洛陽龍門石窟の大盧遮那仏造営の検校(ま、現場責任者ということでしょうね)として関わった。この造営は皇宗の勅命により皇后武氏(後の則天武后)の寄進二万貫に寄るものであり、開始の672年から完工の675年まで従事した。このことに関係することだが善導大師の『法事讃』下巻の最も終わりに近いところに出ている。『聖教全書』一、通し616頁4行目下から5文字目「又願此功徳」より6行目下から4文字目「類滄波而無盡」までの文、およびそれに引き続いてその節の終わりの「出娑婆同帰於浄土」までの文は、「正行の放棄」とでも言うような、世渡り上手な人の文である。そもそも大盧遮那仏は華厳宗の本尊。どうして浄土・浄土と言い募っていた善導大師が関わることになるのだろう。何かもう、名利のためならば自説をひん曲げても厭わないという強靭な精神を感じる。善導大師が捨身供養で生涯を閉じたかどうかは疑問の余地が多いにしても、善導大師の信者が捨身供養した人数が数百人とも言われていることから、善導大師の時代・善導大師の信者にも「五正行」は受け取られていなかったということになる。

 そもそも、「五正行」は何を根拠に成り立つのであろうか。いかにも仏教に親しむということで「五正行」が勤められるとしても、善導大師の言う「五正行」は「仏道の行のまね事」であり、「仏道を歩むことの根拠」をどのように持っているのだろうか。つまり、「五正行」を勤めることで、『観経』による救済ということが成り立つのか?という問題である。ああ、むろんそれは『観経』に説かれている、その『観経』を信奉する念仏者であるならば、それはそれで根拠がハッキリしているといえるであろう。
 しかし、浄土真宗の聞法での学びは『観経』をベースにするわけではない。ベースは『大経』であるはずだ。『大経』においても「五正行」は仏道を歩む行として有効であるのかどうかということは、『大経』のどこにあるというのだろうか。経典の文字面の問題で解決しようということ自体が、『観経』的な発想ということになるとは思うが。

 「発遣・招喚」ということも、『観経』の教説に係ることである。上品上生の所に出てくる「三心(さんじん)」は「至誠心」「深心」「回向発願心」であるが、『観無量寿経』の解釈書である善導大師の『観経四帖疏』の中の「回向発願心」釈のところに出てくる「二河譬」の中で出てくるのが「発遣・招喚」ということである。本当にこの「発遣・招喚」ということが「浄土真宗」の門徒に不可欠・必至のことなのか? 実に道理に合わぬことであり、親鸞は『教行信証』の中で、そして「発遣・招喚」ということを御自釈の中で、どのように「再表現」しているのか。このことの検討の方が、もっと大事な筈なのに、そういうことがなされていないと思う。

 そして、親鸞に先立って「浄土真宗の道」を歩んできた者なんか、「いない」のである。それは、「浄土真宗の道を歩む」という自覚を持って歩んだ「先立つ人」は「いない」のであるということだ。皆さん、勝手にやってきた。「七高僧」はそれぞれ懸命な仏教学者であって、それぞれが独自の「仏教」ということを見いださんとされた人びとである。
 言い難いことであるが、親鸞聖人には意識の塊として「南無阿弥陀仏」ということがあった。その「意識せる南無阿弥陀仏」ということを基本軸にして、その「意識せる南無阿弥陀仏」が親鸞における仏教の「教」「行」「信」「証」を具体化させる縁として、七高僧の文を引文されたのである。残念ながらこのように親鸞の御自釈と引文とを捉えようとしている人はおらず、「七高僧の言葉を学べば、親鸞の教えが明らかになる」ということを常識にして、『教行信証』の七高僧の引文を学ぼうとしている先生が大部分である。「顛倒」、逆さまになっているのだが、そのことに気付かない。だから、『大経』をベースにした『教行信証』の学びの中で、「引文の原文」の背景を学んでいこうとする。そんなことで御自釈との関係が明らかになる根拠がない。御自釈と引文の主従を考えれば、御自釈は主で引文が従であることは疑う余地はない。そこでは経典からの引文であろうとも、引文される根拠は、御自釈によるのである。なんでそういうことが先生方には通じないのかなぁ。「果」としての「親鸞の御自釈」を学びの出発点にしていくしかないはずだ。「御自釈」を本(もと)に引文を学べば、親鸞の正意が明らかになるのである。引文から「御自釈」を理解しようとすると、「引文の原文の文脈」に搦め捕られていくのだ。それが「学びの伝統」の実際であろう。先生方がやっていることは、親鸞の文を七高僧の視点で見るということである。逆でしょうが。この違いがどうして判らないのだろう。キーッだ。

○何か、おかしくなってきている。先生の話を聞いていて、妙にこちらが惑わされていく。なぜか? それはどの先生方も「衆生は救われていく身」ということを前提にして話しておられることが原因である。つまり、『大経』の受け止め方の根本的態度の問題なのだ。
 私は、「衆生の救済」に関して、「救われない身であることの自覚が救済である」というような「詭弁的領解」を出すような「教えの伝統」には、むかっ腹が立つのである。『大経』の読み方を、完全に見失っているので、このような領解になってしまうのだ。もう、頭から「衆生は救われるべき存在」ということを前提として経典を学ぼうとするから、『大経』の願文にもそういう根拠を見いだそうとする。そんな受け止め方は、『観経』の延長上で『大経』を受け止めようとすることである。
 別の言い方をするならば、『観経』において「名(みな)を持(たも)つ」ということに「救済の根拠」を見いだして、そのことをもっと明確にするのが『大経』であるかのごとく、『大経』を受け取ろうとするのである。それは、『大経』を学ぶについて『観経』という「色眼鏡」を通しているということなのだ。悉く「教えの伝統」がそうなっている。
 もっと素直に『大経』を読めばいいのだ。『大経』は、「重担負荷の人生を甘受する」について「先立つ人を見いだす」人生、ということを明らかにした経典なのである。その人生を歩むことは、「菩薩の精神を生きる人生」ということである。「衆生」は「身勝手な生を歩む者」のことである。あからさまに言えば、「衆生とは、五逆・謗法・闡提の在り方をする人間である」ということだ。仏道と離れている人のこと、具体的には、健康長寿・商売繁盛・眷族隆盛・一族安泰・幸福第一・酒池肉林・妻妾同衾(オットット)を願う厚かましき輩を「衆生」というのだ。もともと「存在の救済」なんか求めようとしないのである。わが身の現実の解決とか、わが心の願望の充満だとかにしか関心がないのである。そして「仏道」もそれらを得るための手段・道具立てにするという、実に「たくましい輩」のことなのだ。そんな輩に「仏教の救済」なんて、不必要なのである。
 そういう衆生、「たくましい輩」であっても、時によっては「絶望した者が、存在の救済」ということに目が覚めることがある。あくまでも「時によっては」であり、おそらく珍しい部類なのではないかと思う。「自分の思い」「自分の願望」が打ち砕かれた現実において、「死に切れない」ところの「拗らせた輩」が、「自分の思い」「自分の願望」を放棄することで、「自分の救済」ということを放棄している時に、初めて「仏道」が開かれていることに気付くことが、稀にある。またその中でごく稀に、聖者の道ではなく、「重担負荷の菩薩の道」を甘受しようという者が出てくる。しかし、そこにおいても苦励克己してというのではなく、「先立った人に学びながら」という手弱女な輩として、「重担負荷の菩薩」たらんとする輩が出てくる。
 「重担負荷の人生」に覚悟が出来れば、そこで「重担負荷の人生を歩む菩薩」が誕生するのである。そこには、「重担負荷の人生を歩む」ことの納得があるのであり、「いまさら」のことだけれど「自分の人生の現実の救済」なんか、意識の圏外になるのである。「五正行」なんかでは「逃げ」しか生じない。「仏教で現実の救済を図る」だなんて、お笑い草なのである。『観経』での救済、「五正行」を衆生の仏道の行とする在り方に、「五百年、仏を見奉らず」の「胎宮の世界」をありありと見たのが、宗祖親鸞である。「お〜い。『観経』で仏道を歩むだなんて、夢の話なんだよぉ。目を覚ましなよぉ。「善知識」に偽物・悪玉・仮物もアルでよぉ。どこで本物の「善知識」と峻別するんだぁ。「行け」とか「来い」とかいう「人間」は怪しいヤツが多いぞぉ」。
 自分で先立つ人を探せ。そんなことは難しいことじゃないんだ。見つける方法でもって最も確実なのは、「自分が迷惑をかけた人」「自分が迷惑を受けた人」を凝視するということだろうな。これは、自分を「ヨイショ」しない形で探し出すことが出来る。その「迷惑」ということがどういうことであるのかをハッキリと自分に受け取れるようであるならば、「自分が迷惑をかけた人」「自分が迷惑を受けた人」での「人」は、「自分に先立つ人」である。それは、「その人の上に「重担負荷の菩薩」が顕れ出ている」ということだ。自分自身の方向性は、「その人」たちを見いだせることで可能となる。──まあ、こういうことが『大経』の大枠ということになるだろう。
 『大経』は、「衆生の救済」がテーマじゃないのだ。「菩薩の誕生」と「菩薩の歩み」がテーマなのだ。「自分の救済」から離れることが出来ない人には、『大経』での「菩薩の誕生」と「菩薩の歩み」ということが見えてこないで、願文の中から救済の根拠を捻り出そうとする。それは、『観経』の厚かましい衆生の延長上の発想だな。『大経』の「菩薩の誕生」と「菩薩の歩み」に関心が持てないなら、健康長寿・商売繁盛・眷族隆盛・一族安泰・幸福第一・酒池肉林・妻妾同衾に励めばいいんじゃないかな。「衆生を尽くす」ということでいいんじゃないかな。そういう人間を浄土真宗は否定しているわけではないから(むろん、肯定もしてないけれど)、その点では安心してよろしい。そういう人たちを「けしからん輩」といって非難したり弾圧することはないからね。まあ、私から申し上げるとするならば、「自分のことを衆生と思っているなら、仏教で自分の現実の救済を求めても、それに関しては、仏教には何も力にはならないと思うよ」くらいは言えそうだな。

○浄土真宗という教えの凄いとことは、ろくでもないことしかしてこなかった輩でも、「自分が迷惑をかけてきた人」と「自分が迷惑を受けた人」を憶念することで自分の人生の何かが見えてきたら、その人たちが自分にとっての「諸仏」になるということ。そのことは、「こんな自分だからこそ、その人たちを「成仏」させることが、私の中で可能である」ということだ。よろしいか。「三毒五悪の衆生の現実が、仏が生まれる大地となる」とはそういうことなのだ。
 客観論ではない。自分が成仏させるのである。しかも、相手が「成仏」させられたことに関しては、何ら関知するものはない、のである。この実例が、親鸞における「七高僧」だ。親鸞にとっては「七高僧」は「諸仏」である。その「七高僧」が、「自分」にとっても「七高僧」かどうかは、よくよく学ばねばならぬことだが、人生にそんなに時間もないことだろうから、せめて親鸞以降の人で、「自分」が「諸仏」を見いださねば、「南無阿弥陀仏」は始まらんということだね。これは、いくら『教行信証』を学んでも、学者様にはなれるかも知れないが、「親鸞と同じ信心を持(たも)つ」にはならんよ。
 親鸞は、私どもが「親鸞と同じ信心を持つ」かどうかについては、知ったこっちゃないのだ。「そんなのは、一人ひとりの凌ぎじゃわい」くらいにしか思っていない筈だ。親鸞からそう思われている「自分」なんだよ。ハハハ。

「邪定僧の羊吼」 H28.05.08 は、ここまで。


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